もやもや病の症例: えりさんの場合
この投稿には「その2」があります。
『えりさんの場合(その2)』もぜひご覧ください。
- 1. 発症した年齢
- 5歳
- 2. 現在の年齢
- 35歳
- 3. お住まいの地域
- 静岡県中部
- 4. 症状
- 本人(私)の記憶によれば、5歳の頃より泣きじゃくった後、お蕎麦を吹き冷ました後に脱力発作。手に力が入らない、箸を落とす、一歩一歩がグラグラして安定しない。
- 5. 診断結果
- 昭和60年3月、(8歳)泣いた時にぼーっとしてぎこちない歩き方になり、小児科で脳波検査…過呼吸で失禁。
昭和60年4月、61年8月に意識消失様発作
昭和61年9月、脳血管撮影目的で脳外科入院『両側内頚動脈C1狭窄、もやもや血管あり、もやもや病の診断。(退院時サマリより)
- 6. 現在の状況
- 昭和61年10月(9歳) 両側EDAS施行。術後、一過性に右上肢麻痺。
- 7. 手術の種類
- 両側EDAS
表面の動脈を一部外した頭蓋骨の下を通すもの。
- 8. 飲んでる薬
- 以前はフェノバールを飲んでいました。
ただ、「この薬を飲んでいるから治る。調子がよくなる」などというものではなかったので、次第と飲まなくなっていました。(ほめられたことではないです。処方された薬はちゃんと飲みましょう!)
- 9. 術後の経過
- 昭和62年3月 脳血管撮影。STAより血流あり。
昭和63年4月 血流増加。
平成1年3月 両側SATより皮質血管描出。
平成2年8月 両側内頚動脈閉塞、前大脳、中大脳も閉塞。STAを介して前大脳、中大脳描出。StageIV
以後、フェノバールを服用運動制限は出されなかったので、体育も音楽(リコーダー)も制限なくやってきました。部活動ではバスケ部、合唱部、演劇部、スクーバダイビング部を経験。
活動を通して発作を起こしたりしたことはなかったです。
ただ、自分の過失で親に叱られた時、立たされて説教を受けると一瞬意識を失い、倒れることはありました。
- 10. 不安に思っていること
- もやもや病の診断を下し、手術をして下さった先生からしか「もやもや病とは」という話をしてこなかったので、私の病気に対する知識は26年も前のものだったということ。かかりつけ医が市立病院なので、担当医が変わっていくこと。(これは今まで不安にも思ったことはなかったことですけど、平成24年脳室内出血を起こしたことでやっと病気と向き合うことに。)
これから先の人生、どうなるのかな。
- 11. アドバイス、その他コメントなど
- 自分の病気を知ること。とても大切なことだと思います。
個人差がある病気だということで、病状によっても気持ちの持って行き方が変わってくると思いますが…。
実は、自分の子供達のかかりつけの先生に「私がもやもや病で…」という話をしたところ、「よく診断がついたね」と、言われました。(こちらの先生は開業される前は私の通う市立病院の小児科にいらっしゃいました)
一番最初に発作を起こして市立病院の小児科へ行った時は診断がついていません。てんかんでもないのに、てんかんの薬を処方されたと母は言っています。原因がはっきりしていないのに、症状を抑えられてたまるかと、飲ませていなかったようです。その後、鼠径ヘルニアの手術をするために入院した時に『病院内で倒れた』から、脳外科につながったと思っています。小児例で見つかる方が経過が良いと、こどものかかりつけの先生はおっしゃっていました。
早い段階で、病気が見つかるように祈っています。
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情報公開・共有の目的
原因がわからない病気で、症状や治療法はひとそれぞれ。手術が必要な場合だったり、検査を受けるべきか悩んでいたり。手術は受けたけど、数年後はどうなるの?とか。とにかく不安だと思います。同じもやもや病のみんなはどうなんだろう。「私の場合はこうだったよ」と共有していただけると他の誰かが救われるかもしれません。ご家族が少しでもホッとするかもしれません。
もし誰かが公開した内容でアドバイスできることがあれば、そっと返信していただけるともっと助かるかもしれません。
医療関係者ではない場合、医学的、専門的、といったアドバイスより、経験上のアドバイスにとどまると思いますが、少しでも役立てればと思います。
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2013/03/15 | もやもや病: あなたの場合。私の場合。 小児例
Comment
えりさんへ
保育園の年中での手術だったので記憶はしっかりありますね。
いい先生、看護師のみなさんにめぐまれたので、子供の中では
とっても楽しい思い出の一つになっています(笑)
ただ、皮膚がひっぱられて(子供なので成長でかな?)傷アトの周りはハゲてしまっていて
2年たちますが、全く生えてこないのが悩みですね。
本人も気にしています。
子どもに病名をつげるかですが、やはりもう少し、大きくなってきちんと理解できるようになるまで待とうと思います。
それまでに、私もきちんと子供に説明できるように頑張らないと!!
えりさんへ
返信ありがとうございました。
症状については、ほんと人それぞれですよねぇ~
娘も、普段は活発で外をかけまわって遊んでいるのですが、具合が悪くなると半日は吐きながら寝込んでしまいます。
私はまだ娘に病気のことを伝えられずにいるのですが、えりさんは、いつ自分の病気をはっきりとしりましたか?
診断のつく以前から脱力発作があったので、診断がついて「なるほど」と思ったくらいでしょうか?私の場合は発症は4〜5歳ですが、診断がついたのが9歳なので、多少の分別もあったかもしれません。
お子さんは手術をした時の記憶はありますか?
事例は違いますが、私の娘(5)は喘息を持っています。4歳の時から症状が出るようになって、本人に説明しようか悩みました。悩んだ結果、話す事にしました。私は、ですが、小さいと言っても、自分の体のことはちゃんとわかって欲しい。丁寧に丁寧に話しをすれば、子供なりに理解してくれると信じています。これは子供自身の身体のことも含め、その他の体の不自由な人や、病気の人、それこそ身体的コンプレックスを持っている人などを奇異の目で見ないように育って欲しい願望でもあります。
ただ、その子自身の性質もあると思うので、どのやり方がいいのかはわかりません。が、子供の可能性を信じてあげてください☆
匿名になっちゃった!えりです〜焦
子育てママさん☆
はじめまして!返信が遅くなってしまって、ゴメンナサイ!
こどもさん、まだお小さいのに手術入院とがんばりましたね(*^^*)エライ!子育てママさんもエライ!\(^o^)/
術後に頭痛と吐き気があるということですが…。私の場合は術後は全くと言っていいほど症状がなかったんです。頭痛症状が起こる場合があることも、こちらのサイトで去年初めて知ったくらいですから…。なので、なんのアドバイスにもならなくてごめんなさい!
小学校生活でも困ったことは特に無く、気をつけていたことも全くなかったんです。母に聞いてみたところ、学年始まりの健康調査表には記入するものの、担任の先生から改めて病状について聞かれることも無く…笑
高校に入った時くらいですかね?「マラソン大会は見学してくれ」と言われたのは。体育の先生に知識があったのかしら?
卒業後、自分の卒業した学校でダイビングや船の実習を主に見る仕事をしていたのですが、後に赴任された保健室の先生にダイビングの仕事から外すように…と、校長に進言されたようで、ダイビングの仕事は出来なくなりました。
主治医の許せる範囲、本人ができる範囲、学校が見れる範囲…。これらのすり合わせは大切かな?と思います。
まだ、お小さいから「自分で判断」すること、させてしまうこと、任せてしまうこと…。大変な面はたくさんあると思います。本人も、おうちのかたも、まわりの環境も。けれど、もやもや病でなくても、普通?の体を持った子達でも大変な面はどこかしらあると思うので、一つの個性と捉えられたら、子育てママさんの肩の荷が少し、軽くなるんではないかな?と思います。
お子さん自身も大変でしょうが、ママさんの方がきっと大変なんじゃないかなと思います。私の母は、姑に散々なコトを言われてきていましたから…。ママさんが元気でいられたら、お子さんにとってなによりのパワーの源ですから☆包んであげてください☆
えりさんへ
はじめまして
私の子供は4歳の時にもやもや病と診断され、右側のみ直接・バイバスの両方の手術をうけました。
手術後,三年たちますが吐き気を伴う頭痛は月に1回から2回はあります。
えりさんが、もやもや病を発症した年齢と私の子供の発症年齢が近いのですが、
小学校生活などで困ったことなどありませんでしたか?